武田信玄〜川中島の戦い〜

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川中島の戦い
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1553年、善光寺平まで進出した武田方に対し、長尾軍は義清らの救援のため川中島へ出陣し、武田方と衝突した。最初の川中島の戦いである。川中島における武田方と上杉方の戦いは以後5次に渡って断続的に行われる。

越後の上杉謙信に対抗するため、信玄は子の義信の室に義元の娘を迎え、また娘を北条氏康の長男・北条氏政に嫁がせて、後北条氏とも同盟を結ぶ。今川と北条は武田を仲介に同盟を結び、甲相駿三国同盟が成立する。1555年には2度目の川中島の戦いが行われるが、戦果は得られずに今川の仲裁で撤退する。

1561年)には4度目の川中島の戦いが行われる。第4次の戦いは最大のものとなり、両軍の死者はあわせて6000名近くに及ぶ。武田軍は信玄の弟・信繁や諸角虎定、山本勘助などの名だたる武将を失った。


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